幸せホルモン、愛情ホルモンとして知られているオキシトシン。身体に対する様々な良い作用が判明してきており、2000年以降ではオキシトシンに関する論文を検索すると15000件以上ヒットします。世界中の研究者も注目している物質ですので、我々も沢山分泌して、健康で豊かな人生を送りたいですよね!
今日はオキシトシンの分泌を促進する薬が見つかったというお話です。薬を飲むだけでオキシトシンが増えるのであれば、夢のような話です。ホルモンでもあり、神経伝達物質でもあるオキシトシンはペプチドなので、経口摂取すると胃酸で分解されてしまいます。体内でオキシトシンに変わるアナログ製剤の開発も行われていますが、まだ現時点では難しいようです。
まずオキシトシンの作用をもう一度確認しておきます。オキシトシンは乳汁を分泌させたり、分娩を誘発したりします。嬉しい作用としては血糖値を改善し、食欲を抑制するため肥満改善効果があるのです。筋肉を維持、再生し、骨形成も促進するため、元気に年齢を重ねるためには重要な物質です。また海馬ニューロンの新生も促進するため、認知症予防にも寄与します。
心に対する作用も大きく、オキシトシンが豊富だと母性が豊かになり、他人を信頼出来たり、他人の心に共感できたりします。不安が軽減し、自閉症症状が改善します。薬物やアルコール、糖質などへの依存も改善することができるとされています。ここまでの作用を知ると、蒼野もオキシトシンをいっぱい増やしたいと思ってしまいます。
福島県立医科大学 病態制御薬理医学講座 主任教授の下村健寿先生のチームが、オキシトシンを増やす薬を発見しました。漢方の加味帰脾湯の精神不安や神経症、不眠症に対する効能・効果が、オキシトシンが持つ効能効果に似ていることに注目し、ラットに加味帰脾湯を経口投与、または腹腔内投与してみました。いずれの場合にも、オキシトシン分泌細胞がある室傍核の活性が上昇していることが分かったため、研究が始まりました。
オキシトシンは視床下部にある室傍核と視索上核にある、分泌ニューロンで作られ、下垂体の後葉から血中に分泌されます。ラットのオキシトシン分泌ニューロンが赤く光るように遺伝子改変して、薬を投与して活動電位の発生を調べると、薬によってオキシトシンニューロンの活動が促されるかどうかが分かります。
オキシトシンニューロンを含む室傍核をスライスして培養し、加味帰脾湯を加えると、オキシトシン濃度が上昇することが分かったのです。さらにオキシトシンニューロンだけを取り出して、加味帰脾湯を加えた場合にも、細胞の活動が上昇することが確認され、薬が直接ニューロンに作用していることが判明しました1)。
漢方薬は生薬の集合体であり、ブラックボックスです。薬効成分で言えば1つの漢方薬に3000以上入っていると言われており、何がオキシトシンを分泌させているのかについてはまだ明らかではありません。加味帰脾湯に使われる生薬は14種類。一部生薬が共通する漢方薬を使って、オキシトシンの分泌促進作用を調べることで、どの生薬に効果があるのかは分かってきています。
蒼野も疲れた時などに愛用している補中益気湯、そのベースになる四君子湯、さらに生薬数の少ない人参湯などを加えて、オキシトシンニューロンの活性化をみたところ、補中益気湯は加味帰脾湯と同程度の活性化、四君子湯はやや遅れて活性化、人参湯は活性化が認められませんでした。
この結果から、大棗と生姜と当帰という生薬が入っていると、加味帰脾湯と同程度にオキシトシンニューロンが活性化されることが分かりました。この3つが入っている補中益気湯にもオキシトシン分泌作用があることが分かりましたが、大棗と生姜が入っていない抑肝散という漢方にも、オキシトシン分泌促進作用が確認されており、他の生薬にも効果があるものが存在すると考えられます1)。
ちょっと小難しい研究の話を書いてしまい申し訳ありません。皆様が知りたいのは、加味帰脾湯を飲むと実際にどうなるのかですよね! 加味帰脾湯は虚弱体質で、血色が悪い人の貧血や不眠症、精神不安、神経症に適応がある薬です。
下村健寿先生は元々は、糖尿病や肥満を専門とする内科の先生です。2011年の東日本大震災以降、福島県民のメタボリックシンドローム患者は急増し、近年では全国でワースト3に入っています。ストレスの関与が強く影響している可能性が高く、食事や運動などの生活指導だけではうまくいかないことが多いそうです。
メタボリックシンドロームや糖尿病になりたい人は居ません。しかしストレスがあると、報酬系食欲は増し、ストレスホルモンによっても食欲は刺激されてしまいます。食べるのが止められない状態で、血糖値を下げる薬やインスリンだけで、病気をコントロールしようとするのは間違っていると蒼野も思います。
下村先生が眠りにくい、不安が強い、ストレスが多い糖尿病の患者様に加味帰脾湯を使っていると、眠れるようになり、甘いものを食べたい気持ちも抑えられるようになる人が多いと言われています。睡眠不足の解消だけでも、食欲は治まります。海外の報告でもオキシトシンに食欲の抑制効果や、肥満改善効果が報告されているのです2)。加味帰脾湯がオキシトシンを増やすことで変化を起こした可能性が示唆されます。
加味帰脾湯の作用はマイルドで、オキシトシン自体の約4分の1程度であるため1)、飲むだけで肥満が解消することはないようです。しかし、ダイエットする意思があれば、糖質依存から抜けやすくなり、眠りやすくなり、加味帰脾湯がメンタル面からのサポートになると考えられます。
ストレス社会と言われる現代において、精神的な疲れや脳疲労で元気が無くなり、気分の落ち込み、モチベーションの低下、鬱々する、イライラするような人に使ってみて欲しいのが加味帰脾湯です。自律神経の失調から様々な不調が出ている状態を、正常に近づける作用があるのです。
具体的には、疲れやすい、倦怠感、元気がない、食欲がない、お腹が張る、軟便や水様便、健忘、ふらつき、めまい、動悸、不眠や浅い眠り、イライラやのぼせ、火照りや胸苦しさなどに適合します。現代病名で言えば、うつ状態や自律神経失調症、更年期障害などで使われる方剤です。
ただし注意点があります。もう本当のうつ病になっている人が使うと、元気が出過ぎて、自殺リスクが上がると言う報告があります。抑鬱状態の人は飲んでいると次第に気分が晴れてきます。レスポンスが起こる人でも3~4週間はかかりますので、気長に飲んでみましょう。
しかし薬はあくまで補助的な方法です。あくまでオキシトシンを分泌させる生活、様々なつながりを大切にして、それを感じる生活が基本になります。パートナーや子供やペットとのスキンシップ、仲間との交流、人に親切に接することで、人間関係を良くする事ができれば、漢方薬も必要無いのです。
コロナ禍で人に接する機会が制限され、孤独を抱えて調子が悪くなった人には、役にたつ薬かもしれないと言うお話でした。少しずつ大好きな漢方の化学的な根拠が分かってくるのが、面白くて仕方の無い蒼野でした。
参考文献:
1)Identification of oxytocin receptor activating chemical components from traditional Japanese medicines. ; J. Food. Drug. Anal. 2021, 29(4), p.653-675.
2)The potential role of oxytocin in addiction: What is the target process? ; Curr. Opin. Pharmacol. 2021, 58, p.8-20.
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