昨日は帯状疱疹=ヘルペスウイルスの話でしたが、今日はヘルペスウイルスによる新しい治療の話です。脳外科医の蒼野としては、隔世の感があった研究を見つけたのでご紹介したいと思います。
先日蒼野の病院に入院された80過ぎのおじいさんですが、左の前頭葉に大きな腫瘍が見つかり、広範に周囲浮腫を伴っていました。元々一人暮らしで、時々関東の子供さんとやりとりされていたそうなのですが、LINEの文章が支離滅裂となったのを心配して、見に来ると、運動性失語と右の不全麻痺があるということで、受診されました。
癌の脳転移を疑い、画像検査しましたが、原発巣は見つからず、脳原発の悪性腫瘍である、膠芽腫を疑いました。膠芽腫とは脳に出来る腫瘍の約25%を占めるグリア細胞の癌=神経膠腫(グリオーマ)の中で最も悪性度の高いものです。
治療はなかなか難しく、治療をしなければ半年で寝たきりとなり、1年で亡くなります。ある程度手術で取れる場所にあれば、手術と放射線治療、抗がん剤による治療の組み合わせによって、頑張れば、2年くらい生きられるのですが、大半が病院での闘病になってしまう事が多く、好きな事ができる時間はあまり無い腫瘍なのです。
癌細胞は塊の外側の正常組織にも浸潤しているため、手術で全て取り去るためには辺縁から3cmほどの正常組織も一緒に取り去らなければゼロにはできません。早期の胃癌や乳癌などでは可能かもしれませんが、腫瘍周辺の脳を合わせて6cmも取れば、人は通常の生活を送ることはできません。
また脳には血液脳関門という、通常は脳に影響があるような物質は通さないバリアが存在します。抗がん剤や免疫治療などで、癌細胞を最後の一つまで殺すのは難しい場所でもあります。放射線治療も全ての癌を殺す線量を当てれば脳が障害されてしまいます。つまり脳の悪性腫瘍は極めて予後の悪い疾患なのです。
蒼野も何人も神経膠腫の患者様を診てきました。毎日患者様やそのご家族の心も含めてサポートしてゆくのは、かなりしんどかったなあ。おじいさんはとりあえず周囲の浮腫を取る治療を行い、麻痺が良くなり、話もできるようになりました。子供さんが暮らす関東での治療へとお繋ぎしました。
医療が進んだと言っても過去の膠芽腫の治療成績は、手術+放射線治療+化学療法を行った人で、平均余命は18ヶ月です。5年生存率は10%に過ぎません。本当に患者様やご家族に説明するのが辛い疾患です。しかし今回のヘルペスウイルスを使った日本発、世界初の『がんのウイルス療法』では、驚くほどの効果がみられた症例が報告されています。
対象は現在の放射線、化学療法を行った後に再発した、今までであれば死ぬのを待つばかりという症例13例です。がん細胞のみで増える事が出来て、しかもがん細胞を破壊する事ができるように遺伝子改変した、単純ヘルペスウイルス(口唇や性器ヘルペスの原因)を投与しました。正常細胞ではウイルスは増殖できません。
元々の単純ヘルペスウイルスは、あらゆる細胞に感染可能で、細胞を殺す能力が高く、ウイルスの抗体があっても死なずに生存し続けます。正常細胞には感染せず、がん細胞だけに感染させることが出来れば、治療に使える性質を備えていたのです。そのためにウイルスに含まれる3つの遺伝子を改変し、G47Δというウイルス株を作りました。
1、正常細胞の抗ウイルス反応を抑制し、ウイルスが生存しやすくなるタンパクを作る遺伝子をブロックしました。がん細胞では、元々この反応は起きないため、正常細胞は抗ウイルス反応で感染しにくくなり、がん細胞にだけ感染が起こります。
2、ウイルスのDNAを作る酵素の遺伝子をブロックしました。正常細胞ではこの酵素のおかげでウイルスが増殖するため、ウイルスが増殖できなくなります。がん細胞は元々異常に増殖が可能なように、他にもDNA合成に必要な酵素を多数含んでいるため、がん細胞のような増殖細胞にのみ、ウイルスの増殖が可能になります。
3、ウイルスは正常の免疫システムから逃れ、見つかりにくくする機能を持っています。これを遺伝子的にブロックすることでウイルス感染細胞は、体内の免疫によって敵だと認識されやすくなります。つまり感染したがん細胞は、免疫系の攻撃を受けやすくなるのです。
膠芽腫の再発患者の1年生存率は2割です。G47Δ投与によって1年生存率は38.5%まで上昇しています。驚くべきは完全に腫瘍が消えた患者が1名、部分的に縮小した患者が1名含まれており、論文では3名の患者が46ヶ月以上生存しています1)。再発した膠芽腫が消えるというのは、蒼野が診てきた症例からは想像もできないことなのです。
左から▽投与前▽3カ月後▽4カ月後▽半年後▽2年後=藤堂具紀・東京大医科学研究所教授提供
こうして東京大学医科学研究所の20年の研究成果が実り、膠芽腫治療への有効性と安全性が確かめられ、2021年6月にウイルス療法で初めて再生医療等製品(商品名「デリタクト」)として承認されました。
この技術はさまざまながん細胞に共通する性質とヒトの免疫を利用するメカニズムであるため、膠芽腫だけではなく、理論上は全てのがんに共通に使えるはずです。治験での副作用は、発熱、頭痛、嘔吐などがみられましたが、いずれも軽微で命に関わるものではありません。
他のがん治療と比べると、ウイルス療法は副作用が少なく、局所でも全身でも効果が期待できます。現時点では他の癌への適応は、規制の多い日本では、それぞれの臨床試験結果を待つ必要があります。蒼野は世界初であり、しかも最先端を走っている、素晴らしい治療法のように感じます。手術、放射線、薬物、免疫療法に続く、第5のがん治療に、早くなれば良いですね。
本当に医学も科学も日進月歩だなあと、感心しきりの蒼野でした。
参照論文:
1)A phase I/II study of triple-mutated oncolytic herpes virus G47∆ in patients with progressive glioblastoma. ; Nature Communications 13 : 4119 (2022)
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