縄文人の食事と考え方!

2022/01/27

 今日は、蒼野が人類の遺伝子に合った食生活の方法として、参考にしたいと思っている、狩猟採集社会での食生活について書いてみたいと思います、特に日本人のルーツでもある縄文人の食生活について、最近の研究が進んでいるようですので、興味をそそられたのです。

 世界で農耕、牧畜の生活が始まり、定住して暮らし始めたのが1万年くらい前なのですが、縄文人は1万2000年前くらいから、定住しながらの狩猟採集生活を始めていたということで、特異な存在であるようです。

 これは日本列島がとても豊かな場所で、海は寒流と暖流がぶつかり合って、世界有数の漁場をなし、国土の大半を占める豊かな森林からは木の実やキノコなどがとれ、イノシシやシカ、ウサギなどの野生動物も、すぐそばで暮らしていたことが関係しているようです。四季折々の豊かな食物に恵まれていた縄文人は、食べ物を探して、移動する必要が無く、定住して暮らすことができました。

 定住することによって、文明は発達します。世界の文明は、農耕、牧畜の生活が始まってから、メソポタミア、エジプト、インダス、中国の黄河流域などで発達しました。自然を切り拓き、畑にして自分の土地として所有して、農作物や家畜を育てました。そのため樹木は無くなり、家畜が草の芽まで食べてしまうので、長い年月のうちには、砂漠化してゆきます。

 しかし、それよりずっと前から狩猟採集のまま定住し、進化することで縄文文化が生まれ、それは、自然を破壊することなく、共生したまま、長く続きました。12000年前から、弥生時代に変わる2500年前まで、豊かな自然を守りながら、1万年も続いたのです。近年叫ばれている、持続可能社会のお手本とも言える生活スタイルです。

 縄文遺跡から出てくる食べ物の痕跡を調べると、様々なことがわかってきています。縄文人は食べ物の旬を知っていました。捨てられている貝の成長線を調べると、しじみやハマグリの70%は4月から6月にかけて食べられていました。現代の潮干狩りの時期と同じで、最も美味しい季節です。

 魚もイワシやニシンが春、アジ、サバ、クロダイは夏、鮭やぶりは秋などに食べられています。秋にはクリ、クルミ、シイ、トチなどの様々な木の実が食べられ、冬になると、脂肪を蓄えたキジ、ヤマドリ、カモ、イノシシ、シカなどが、狩られ て食べていたようです。そしてまた春になると、ワラビ、クズ、セリ、ゼンマイなどの若葉、若芽が食べられました。

 場所によってはサメやトド、アザラシ、オットセイ、クジラなどの骨も出てきます。フグも食べていたようで、毒の処理法も知っていたようです。犬も飼っていて、一緒に狩猟に出かけたようです。女性と一緒に埋葬されており、犬が安産の象徴と言われることにも関係があるのかもしれません。

 縄文遺跡の食料の残りかすから獣が60種類以上、魚が70種類以上、貝が350種類以上も出てきています。それらに加えて木の実や野菜、果物、キノコなど、様々な食材が食べられ、縄文人の健康を維持していたと考えられています。

 これらの数百種類の食材が、どれが食べられるのか、どこで採れるのか、いつが旬なのか、どう料理するのかを、知識を集めながらそれをみんなで共有し、食べていました。驚くべき知識量ではないでしょうか?

 食材を縄文土器によって煮炊きすることで、さらに色々なものが食べれるようになってゆきます。調理することで、木の実のアクを抜き、植物の根や茎を柔らかくして食べやすくし、魚や獣の肉の腐敗を防げるようになりました。土器に保存することで、長く食べることもできるようになりました。

 移動生活では大きな土器は使えません。定住生活で、家族だけではなく、皆が一緒に暮らせることで、身体の弱った年長者の経験や知識も、しっかりと次の世代に伝えることができました。土器で調理することで、食べられる食材がさらに増え、ますます定住が容易となったのです。

 縄文人は集落の中心に円形の広場を作り、そこで自然を司る精霊を祀りました。広場の周りに竪穴式住居を作り、神聖な場所から、どの住居も等距離に作られており、みんな平等だったようです。

 そんな生活の中で、豊かな自然に生かされている縄文人は「自然界では、すべてのものが互いに深くつながって、存在している」という世界観を持ち、獣も魚も貝も木も草も、生きとし生けるものには、すべて精霊が宿っていると信じました。

 人間もその一部であるため、自分だけのために魚や貝を獲り尽くしたり、動物の子供を食べたりすることは、許されないことでした。縄文人には階級分化もなく、すべての人間は平等でした。争いも無かったようで、1万年以上も続いた時代にもかかわらず、遺跡から戦争の武器が出土しないのです。

 おたがいが助け合う和の社会が維持され、精神的な豊かさを持ち合わせた社会であったようです。私たちの祖先である縄文人は、「和の文明」とも呼べるこのような、おだやかな社会を作って暮らしてきており、その片鱗は現代にも残っています。

 それぞれの聖霊などを祀る、沢山の神社や沢山の神様が残っていたり、旬を重視する、多種多様な食材を使う和食が文化として残っていたりします。争いを好まず、お互いのことを思い遣って、和を大切にする、人情味のある社会が、昔ながらの世界の中では、日本社会は特異な存在であると思われます。グローバル社会となって、大分変わってきたように思いますが、我々の遺伝子には豊かな自然と共生する、心が残っていることを忘れたくはないと思います。

 ここで縄文人が食べていた食事がどのようなものだったか紹介したいと思います。

スープ:季節の縄文鍋~山の恵みの宝石仕立て~ 黒曜石で切り分けたイノシシの肉、秋ならなめこやまいたけなどのきのこ類、春ならコゴミ、ノビル、ゼンマイなどの山菜、山芋、そして肉の臭いを消すためのゴボウなどが土器で煮込まれて作られます。

メイン:エゾ鹿肉のワイルドステーキ&山芋とえのき茸の石蒸し焼き 鹿肉を石の上で焼き、山芋ときのこを、濡らしたカシワやホオの葉っぱなどを何重にも巻いて、石の上で蒸し焼きにします。

主食:どんぐりとクルミの縄文クッキー  どんぐりと胡桃を石で潰して、殻から取り出し、石ですり潰して粉にします。擦った山芋や野鳥の卵、肉や血液、蜂蜜などを混ぜて成形し、石の上で焼いて出来上がります。保存も効いて高カロリー。縄文のカロリーメイトです。

 このように、縄文人は、焼いた石の上で焼く、縄文土器で煮る、蒸す、茹でる、そして燻製、塩漬け、発酵、木の実で作るパンにお粥にクッキーに、お酒など、なんでもありのグルメな人々だったようです。そして豊かな食生活のおかげで、今よりも免疫力が高く、体力もあって、健康だったとも考えられています。

 食事内容は、もちろん精製糖質は皆無で、タンパク質や脂質、食物繊維、様々な植物などで、栄養価の高い食事です。体格は現代ほどではないものの、江戸時代よりは身長が高く、がっちりした体型で、手足が長かったようです。医療が無い時代にもかかわらず、65歳以上の人が全体の3割以上を占めています。

 縄文人は10万種以上の食用植物と様々な動物を食べて生きていたとされています。一方我々はせいぜい100種の植物と15種の動物しか食べていません。植物も偏っており、12種の植物に依存している状態なのです。多種多様な植物を食べることは、それぞれの野菜のポリフェノールやフィトケミカルを取り込むこととなり、ぜひ参考にするべき食生活だと思います。

 縄文時代に想いを馳せると、蒼野はつくづく、素晴らしくて、面白い時代だなあと思います。若い頃は歴史に興味がなかったのですが、今は大好きです。一度青森に行って、三内丸山遺跡を訪れたいなあと思っている蒼野でした。

参考書籍: 日本人なら知っておきたい日本    武光 誠

      縄文文化が日本人の未来を拓く    小林 達雄

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