大人の脳を増やす方法!

2023/07/27

 今日は純粋に学術的なお話です。大人になっても脳細胞が増えるというのは最近分かってきたことの一つです。蒼野が脳外科医になりたての頃は、脳は一旦壊れると、決して再生はしない特別な臓器であると、教えられてきました。しかし神経細胞は大人になっても増えることが判明し、その応用が期待されているというお話です。

 2000年の論文に、ロンドンのタクシードライバーの海馬は、そうでない人よりも大きいことを示したものがあります。両群の脳MRIで比較すると、ロンドンの入り組んだ街並みの地図を、頭に入れておく必要のあるタクシードライバーは、働いた期間が長いほど、地図などの空間的情報を保存する海馬後部が大きくなっていました1)。

 脳は子供の時だけではなく、環境からの要求に応じて、大人になってからも発達し続けるということが分かったのです。それからそのメカニズムに対する研究が始まり、まず動物実験で、大人になっても、脳細胞が新生し増えることが発見されました。そこで発見されたのが、神経幹細胞(Neural stem cells, NSCs)という細胞です。

 これは脳を形作る各種の神経細胞や、その構造を支え、神経細胞をメンテナンスするグリア細胞やオリゴデンドロサイトなどの、様々な神経系の細胞に自由に分化できる細胞です。主にこれは胚発生期の脳で見られます。盛んに分裂して、生まれるまでに脳を作り上げます。そして、この神経幹細胞は大人の脳にもあり、必要に応じて分裂することがわかってきたのです。

 この細胞は、特に海馬や視床下部の壁膜(大脳脳室下帯)などの特定の脳領域に残っています。何らかの刺激で、神経幹細胞が分裂し、2個になります。そのうち1個は神経細胞やグリア細胞などに分化してゆき、もう一つは神経幹細胞として残るそうです。こうして出来る新しい脳細胞は1日に数百個に及ぶそうです。

 細胞は分裂を繰り返すとテロメアが短くなり、一定の回数の分裂が終わると分裂できなくなるはずです。この点について世界で初めて、東京大学の実験が解答を導きました。胎児の時に盛んに分裂した神経幹細胞が大人になっても残っている訳ではなく、胎児の時から分裂せずに残り続けた神経幹細胞が、何らかのスイッチによって、大人になってから分裂を始めるのです2)。

 動物の胎児期の神経幹細胞に遺伝子操作を行い、光で光る物質が入った細胞を作る実験を行いました。これが分裂してゆくと、分裂するにつれて、物質の濃度が薄まり、大人になるにつれて光らなくなるはずです。しかしマウスの大人の脳には、強く光る、一回も分裂しないままの神経幹細胞が、そのまま残っているのが観察されたのです。

 つまり神経幹細胞は、胎児の時に脳を作ってゆく際に活躍するものと、一生を通じて、脳細胞の傷んだ部分を修復したり、必要な部分の脳を増やしたりするために、機会が来るまで残り続ける二つの種類があるのです。歳を取っても脳が衰えず、むしろ鍛えれば増えてゆくメカニズムが、我々の脳には備わっていたのです。

 その後の研究で、分裂していない神経幹細胞は、ある刺激が入ったタイミングで分裂を初めて増えることがわかりました。タクシードライバーの海馬が発達したように、必要に迫られ、何度も鍛えていると、必要に応じて、まるで筋肉のように、もりもりと増えてゆくことが分かったのです。鍛えれば、脳においても細胞が増えて、大きくなるのは嬉しいですよね!

 そのスイッチを入れる信号がいくつか見つかっています。今わかっている重要なものが二つあります。一つ目は神経の成長因子やホルモン、サイトカインなどです。有名なものとしては、脳由来神経因子(BDNF)です。この他にもグリア細胞由来神経栄養因子(GDNF)や、神経成長因子(NGF)などが見つかっています。

 もう一つのスイッチは、経験や環境などで起こる遺伝子の修飾=エピジェネティックスです。体験や、摂取するものや、1日のリズムや、睡眠や運動などが、遺伝子をエピジェネティックに修飾し、神経幹細胞が特定の神経細胞に分化するのです。まだ全てが分かっている訳ではありませんが、なるべく毎日、脳細胞を育ててゆきたいものです。

 具体的に神経幹細胞を増やすものは、運動です。運動は新たな神経細胞の生成(神経新生)を促進します。特に有酸素運動が有効であり、運動により血流が増加し、成長因子の分泌が促進され、神経幹細胞の分裂と、新たな神経細胞の生成が促進されるのです。目安としては、週に150分間の、中程度の強度の有酸素運動(心拍数の50-70%程度の強度)が脳の健康を維持し、神経新生を促進するのに役立つと提唱されています。

 もちろん勉強や、新しい体験や仕事などがもたらす適度なストレスも、神経新生を促進することが示唆されています。これは同じことをしても、その受け止め方で変わります。嫌々する勉強などは過度なストレスであり、逆に神経新生を邪魔してしまいます。自分が興味があることしか覚えられないのは、こういうメカニズムだったのですね!

 神経幹細胞の生成を減らす要素を知っておくのも重要です。過度なストレスは神経新生を抑制します。長期的または慢性的な過度なストレスは、ストレスホルモンである、コルチゾールの分泌を招きます。コルチゾールは神経幹細胞の受容体に直接結合し、細胞自体を殺したり、分裂能力を奪ったりします。

 またコルチゾールは脳血管も収縮させ、免疫系を抑制することで、脳環境を悪化させて、神経幹細胞や既存の脳細胞を障害します。ストレス状態は、逃げるか戦うかの準備段階です。生命の危機の時には、神経を活性化し、多くの神経細胞が興奮するように、神経伝達物質のグルタミン酸が過剰に放出されています。

 これが長く続けば、過度のグルタミン酸には神経毒性があるため、神経幹細胞のみならず、既存の脳細胞も死んで減ってゆくのです。脳の中でこの反応が起こりやすいのは、記憶と学習に関与する海馬や、情動を制御する扁桃体などです。うつ病では、記憶が悪くなり、情動の制御が難しくなり、脳細胞が減ってゆくのです。ストレスの受け止め方を変えて、適度なストレスに変化させる必要があります。

 睡眠不足も神経幹細胞の生成や、新たな神経細胞の成熟を阻害します。加齢とともに神経新生の率は、自然に減少するため、中高年は特に、生活の中で睡眠時間を確保することを最優先するべきです。それ以外にも、糖質過剰などのバランスの悪い食事、アルコール、喫煙、過度のカフェイン摂取などは神経新生を阻害します。

 神経幹細胞の研究は、今後の脳機能回復の切り札になる可能性があります。夢のような話ですが、自分の神経幹細胞を増やして、障害された部分に移植し、胎児の時のように正常の脳組織をもう一度作ってくれたら本当に凄いですよね! 麻痺が治ったり、認知機能が戻ったりするかもしれません。

 現時点では、残っている神経幹細胞を大切に育てる生活習慣を送りたいものです。1週間前にダウンロードした『ポケモンスリープ』で、自分の睡眠分析を始めた蒼野でした。

参考文献:
1)Navigation-related structural change in the hippocampi of taxi drivers. ; Proceedings of the National Academy of Sciences, 2000 97(8), 4398-4403.

2)Cell cycle arrest determines adult neural stem cell ontogeny by an embryonic Notch-nonoscillatory Hey1 module. ; Nature Communications 2021 12, 6562 10.1038/s41467-021-26605-0

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