最近のニュースでは、コロナ感染者の人数についての報道が目立たなくなりましたね! 確かに数も減って、10月10日には全国で1万3千人ちょっとくらいになっている様です。8月半ばすぎに26万人を超えたことを考えるとずいぶんと減ったものです。発熱外来の数も忙しかった時に比べるとぐんと減っています。
バイデン大統領は、9月半ばにテレビ番組でコロナは終わったと発言しました。終わったとなれば生活スタイルが大きく変わりますので、未来は明るいのですが、この発言には、まだ毎日400人以上がコロナで亡くなっている現状から、アメリカの医療関係者やコロナで苦しむ人たちが抗議をおこなっています。
またタイでも、9月末に非常事態宣言を解除し、ワクチン接種や陰性の証明書は不要となり、軽症の感染者の外出も可となっていて、ただの風邪扱いとなり、コロナ前の状態に戻りました。議論はまだ残るものの、欧米諸国でも、外出時にマスクをしている人はほとんど居なくなっているのが現状です。
一方我が国では、本日より入国時のPCR検査はなくなり、感染者の療養期間も7日に短縮、全国旅行支援も始まろうとしています。保健所への登録も、重症者と高リスク患者のみとなりました。しかしまだ感染症2類相当から5類への引き下げは行われておらず、宿泊支援を受けるにもワクチン証明が必要だったりして、ブレーキとアクセルの両方を踏んでいるような印象です。
蒼野も、他国と我が国の違いは何なんだろう、どうやってポストコロナを考えてゆけば良いのだろうと思います。内閣支持率は低下の一途で、思い切った政策を進められないのも分かるのですが、何か中途半端で、現場が混乱しているイメージが拭えません。
これには日本人と外国人の死生観が影響しているのでは無いかと言う記事を見て、その通りかもと思ったので紹介しておきたいと思います。コロナが終わったと考えるには、1、感染者が減ってただの風邪やインフルエンザと同等の死亡リスク程度になるのを待つ。2、死亡率はインフルエンザよりも高いことは仕方がないと考え、コロナで死ぬのはその人の運命と考える。という2つの考え方がありそうです。
日本は1に近く、外国は2なのでしょうね。1と考えると、インフルエンザでも我が国で年間1万人が死亡していた現実を考えると、ちょっとおかしい気がしますね。今までそうだった病気に関しては黙認して、新たなパンデミックには厳しく考えていることになります。一人でも死なせないということになると、逆にインフルエンザの扱いを厳しくして、予防対策を講じるのが道理でしょう。
タイでは「インフルエンザで死ぬのは仕方がない」のと同様に、「コロナで死ぬのは仕方がない」との考え方が主流であるからこそ、全面解除し、コロナ前の生活を取り戻していると言えます。それを見習えと言っている訳では無いのですが、世界でも稀な国民皆保険で、病気になったら国が補助してくれるというマインドのままでは、ポストコロナに踏み出せないまま、世界に遅れを取ってゆくのではと思ってしまいます。
これは老年医療も同様です。日本は真の寿命と健康寿命の差が、世界で最も大きな国です。寝たきりのまま病院で数年過ごした後亡くなるのが普通であるとも言えます。しかし世界を見渡すと、北欧をはじめとして、欧米、オーストラリアなどでも、経管栄養で延命されている人はほとんど居ない様です。
スウェーデンでは、以前は日本と同様に、高齢者が食べれなくなると点滴や経管栄養を行なっていましたが、ここ20年のうちに行われなくなっている様です。人は食べれなくなったら死ぬという死生観が国民全体に共有されており、亡くなる数日前までちゃんと喋れて、静かに息を引き取るという人が多いのです。
スウェーデンで終末期に濃厚医療が行われない大きな理由は、QOLを重視した人生観であり、終末期高齢者に人工栄養を行うのは,非倫理的(老人虐待)だとする考え方もあるからです。点滴が抜けないようにベッドに縛り付けられたり、両手を拘束されたりするのは、蒼野自身はゴメンです。
寝たきりで、点滴や経管栄養で生かされている人生に意味があるとは思えるでしょうか? 自分もそうはなりたくない、自宅で死にたいと思っている人が多いのでは無いでしょうか。しかし未だに日本では、命を救うために、病院でできることを全てしてもらうのが当たり前と、周囲や今まで親交がなかった遠い親戚までが望む風潮が根強く残っています。
脳外科患者様の最後は、寝たきり、植物状態になる方が多く、沢山診せて頂いたのですが、言葉は悪いのかもしれませんが、周囲の満足のためのサービスの一環というイメージが拭えません。超高齢化社会になり、医療費増大の問題が大きくなる日本において、一般的な死生観が変わると良いなあと思ってしまいます。
海外の論文でも、進行した認知症患者には経管栄養を勧めないとされ、欧米の栄養学会でも、認知症の高齢者に胃瘻は適応されないとしています1)。高齢で食べられなくなった人に人工栄養を行うことは医学的に勧められていないのが世界の趨勢なのです。
もちろん財政的な問題もあります。スウェーデンでは,高齢化と金融危機により社会保険財政が逼迫し、1992年に医療・保健福祉改革が行われました。長期療養病院が介護施設に変わり、病状が変わった際には、内服薬のみの治療で短期間で亡くなる場合が多くなりました。
もちろん日本であれば、中には手厚い治療によって、元気を取り戻すお年寄りが居られる可能性はあるとは思います。アメリカでは富裕層に限っては、食べなくなった高齢者に対する心のケアまで含めた、ありとあらゆるチームでの治療が用意されていたりもしますが、一般の人は受けれません。
倫理的なこともあり、難しい問題だと思います。自分であれば延命は望まない人が多いかもしれません。自分の父親、母親だったらどうしましょうか? 寝たきりでも生きていて欲しいと思われる人が居られるのも理解はできます。しかしこれからの日本の若い人たちのためにも、寝たきりの方は減らしてゆく方向性が重要だと感じています。
ポストコロナのお話に戻ると、日本では恐らくコロナ前の生活に戻れる人と戻れない人が居られるのでは無いでしょうか? コロナ自体は死亡率、重症化率が少し高い風邪として、残ってゆく様に思います。風邪を引かない免疫力、生活習慣を保ってゆくことが、結局のところ自分を守ってくれることになるのだと思います。
日本は古くからの考え方が変わりにくい国の様に思います。もちろん良い面もあるとは思いますが、大きな問題解決のためには、少しずつ意識が変わって欲しいなあと思う蒼野でした。
参考記事: 新型コロナ 今後の方針は3通り 選ぶカギは「死生観」 谷口 恭
https://mainichi.jp/premier/health/articles/20221007/med/00m/100/001000c
参考書籍: 欧米に寝たきり老人はいない―自分で決める人生最後の医療 宮本 顕二
参考文献1):Rethinking the role of tube feeding in patients with advanced dementia.:Engl J Med. 2000;342(3):206-10.
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