江戸時代に107年生きた男!!

2022/12/17

 人生100年時代と言われていますが、なかなか身近に100歳の人は少ないように思います。先日蒼野は、平均寿命が30年と言われていた江戸時代に、数えで108歳まで生きたという人を知りました。徳川家康から家光までの3代にわたって、側近として仕えた南光坊天海というお坊さんです。

 ほとんど妖怪です。人類の最大寿命が120歳と言われる中、107年も生きたというのは驚異的です。どんな生活をしていたのかとても興味深いと思い、調べてみることにしました。Wikipediaによると、会津藩、現在の福島県の出身です。

 以前書いたのですが、徳川家康は天下人になったにも関わらず家康の普段の食事は、麦ご飯や玄米にみそ汁+おかずが1品か2品で、イワシの丸干しや煮付をよく食べていました。健康オタクで、73歳の寿命を全うし、当時としては驚くほど長生きだったということで、この天海の影響が大きいのかもしれません。

 天海は風水にも、造詣が深く、江戸城の構築や江戸の都市計画にも関与したそうです。幕府の重鎮でもあり、天海に関する文献は多く残っています。日本での一切経(大蔵経)という経典の印刷と出版は大きな功績で、日本の印刷文化の先駆けともなっています。26万個以上の木製活字が現存しているそうです。  

 健康法に関する天海の姿勢は、2代目将軍秀忠と3代目将軍家光に贈った歌に表れています。まずは秀忠に長寿の秘密を聞かれた天海はこう答えました。「長命は、粗食、正直、日湯(毎日風呂に入ること)、だらり、時折、ご下風あそばさるべし」。

 その意味は粗食=素食、素材の良い栄養満点の食材を、贅沢することなく、量も控えめに食べます。正直=嘘をつかない事で、人間関係のストレスを軽減し、日湯=毎日入浴して、身体を温め、血流を改善します。だらりは2説あり、お経=陀羅尼を唱えるという説と、陰嚢がだらりと垂れるように、緊張せず、リラックスして過ごすというものです。

 最後の時折、ご下風あそばさるべしとは、ご下風=放屁の意味で、我慢せず要らないものはしっかり体外に出す、緊張していると放屁はできないので、リラックスして過ごすというふうに解釈されています。将軍職というのはストレスが高かったのかも知れません。ストレス社会である現代にも役に立つアドバイスの様に思います。

 天海は家光にも同じ様に長寿の秘密を聞かれています。世の中も安定し、生粋のサラブレッドで、家康の英雄らしさを受け継ぎ、兎角短気で好色でもあった家光には次の様な歌を贈っています。「気は長く、務めはかたく、色薄く、食細くして、心広かれ」!

 その意味は、短気を諌め、務めはかたく=万事自分の鶴の一声で即断するのでは無く、慎重に協調性を持って仕事にあたると成果が得られやすい。好色もほどほどにして、食べ過ぎず、おおらかな心で、過ごしてゆけばストレスも減って健康で居られると説きました。蒼野も天海さんに、教えを請いたくなります。

 天海自身は、故郷の食べ物ということに加えて、身体に良いという事を知っていたと思われる納豆や納豆汁をよく食べていた様です。家康が体調を崩した時も、下賎な食べ物とされていた納豆を勧め、家康もそれに従って納豆を食べ、健康を取り戻したとのことです。

 納豆には、加齢と共に必要性が増す植物性タンパク質、幸せホルモンセロトニン=良眠のためのメラトニンの材料となるトリプトファンも多く含みます。ナットウキナーゼで血がサラサラになり血流が改善されますし、レシチンは動脈硬化を予防します。ポリアミンは長寿遺伝子を刺激して、健康長寿を助けてくれるのです。

 健康長寿に対する食の重要性は言うまでもありません。贅沢なものばかり食べず、粗食でも栄養価の高い物を、腹八分目に食べると言うのは、現在の研究で、カロリー制限がオートファジーを活性化し、長寿を助けてくれることに気づいていたのでしょう!

 血流についても、当時は毎日入浴する人は少なかったにもかかわらず、毎日の入浴を勧めています。これはリラックスや、ストレス軽減効果にも大きく寄与します。

 短歌を読み返してみると、ストレスコントロールの重要性が目立ちます。だらんとリラックスし、おならも我慢するなと言うのは、ちょっと笑えます。

 運動について書いていないのは、当時は日常生活自体が、徒歩が基本であり、常に体は動かしていたものと考えられるため、殊更その重要性については強調されていないのかも知れませんね。

 日中活動的に過ごすことや、夜は真っ暗になって、蝋燭の光しか灯りが無い時代であれば、暗くなったら寝て、明るくなったら起きていたのでしょう! 

 100歳手前で家光に、甘く美味しい柿をご馳走になった天海は、柿の種を懐紙に包んで持ち帰ろうとしたそうです。その時は家光に苦笑されたそうですが、後日家光の美味しい柿を献上しました。産地はどこかと聞かれた天海は、家光にもらった種の柿が実ったので、真っ先に献上したと答えました。

 桃栗3年柿8年! 100歳を越しても元気でいるという自信があったのでしょうね! カッコいいなと思います。死ぬことを心配せず、おおらかに過ごしていた天海だからこそ、そんなに長生きできたのでしょうね!

 こんな有名な方なので、都市伝説のような噂が、大正時代から囁かれている様です。それは天海が明智光秀だったと言うものです。天海が進言して、日光東照宮に家康が祀られることになったのですが、日光に明智平という地名が残っており、天海が名づけたと言われていたり、日光東照宮の屋根瓦に明智の桔梗紋が刻まれているとかが、まことしやかに囁かれているそうです。

 某テレビ局の歴史特番で、天海と光秀の筆跡を鑑定したところ『本人か極めて本人に近い人物』という鑑定が出たなんていう話もあります。しかし、文献によると明智光秀の生まれは、天海よりも10年早いそうです。天海の没した年ははっきりしているため、蒼野としては流石に117歳は生きれないと考えます。明智光秀の死亡についても、ちゃんとした文献が残っていることからも、やはり都市伝説なのでしょうね!

 蒼野は受験は世界史専攻だったので、天海と言う人物自体を初めて知りました。でも天海の生活習慣を想像すると、現代にも通じるものがあり、とても興味深く感じました。健康長寿は遺伝の影響は3割。環境や生活習慣が7割です。

 食べ物や生活リズム、運動や睡眠、生活環境やストレスなど、様々なものが細胞のDNAに影響するエピジェネティックな部分に影響し、DNAの発現を左右します。生活をうまく整えて、もともと持っているDNAの中にある健康長寿遺伝子を活性化すれば、誰もがピンピンコロリに近づけるのでは無いかと思っています。

 健康ブログを400本書いてきていますが、人によって正解は違っているのも感じます。是非皆様各々が、自分が調子が良く、パフォーマンスが最大化できる生活習慣が見つけられると良いですね! 蒼野も自分自身で実験しながら、そのヒントがお伝えできれば幸いです。

 それにしても天海って、漫画の『JIN』の様に、科学に裏付けられた健康法がちゃんと分かっている人が、タイムスリップした人では無いかと想像してしまう蒼野でした!

参照ページ:  Wikipedia  天海  https://ja.wikipedia.org/wiki/天海

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