藤原道長 vs 徳川家康!

2022/10/03

 先日メタボリックドミノについて、今分かっている事を報告したのですが、やはりそういう知識を知っておくのは大事だなあ、と思わせてくれる記事を見つけたので、皆様に知っておいてもらいたいと思います。生活習慣病というのは、現代病と呼ぶにはあまりに歴史が古いという話題です。

 糖尿病についての記述で一番古いものは、いつの時代なのか皆様はご存じでしょうか? なんとエジプト王朝の紀元前1550年までさかのぼります。パピルスに書かれた医書に、多尿を伴う病気の記載があり、糖尿病を意味しているものと考えられています。

 紀元前600年の古代インド文明時代の医学書にも、衰えた患者に、猛烈な飢えや、いやしがたい渇きが見られ、蟻や昆虫をおびき寄せるほど甘い尿を出す病気についての記載があり、この病気になる人は、「昼寝をむさぼり、座ってばかりで体を動かさず、甘い飲み物や冷たい脂肪質の食事を取る人」と書かれています。

 日本人の糖尿病第一号と言われているのが、西暦1000年前後、平安時代の最高権力者藤原道長です。「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることのなしと思へば」という和歌を詠んだあの人です! 長女に仕えた紫式部が、光源氏のモデルにした人物としても知られています。当時の最高の権力者であったのは間違いありません。

 権力闘争のストレスを耐えたのち、栄華に満ちあふれた権力の座に着き、運動はせずに、美酒美食に明け暮れた生活を送りました。1016年、待望の摂政、太政大臣の地位を得た51歳には、喉の渇きから水を飲み続け、脱力に襲われたとの記載があります。日に日に視力が落ち、そのため2ヶ月で太政大臣を辞任しています。

 糖尿病の進行と網膜症が疑われる所見です。その後10年の闘病の後、背中の出来物が化膿し、62歳で亡くなっています。糖尿病の免疫低下による感染と、敗血症、多臓器不全での死亡だったと推測されています。また当時の記載から、43歳で亡くなった兄も、水を飲み続け、やせ細って死んだようですし、伯父や甥も同様に糖尿病を発症していたのではないかと考えられています。

 平安時代でも、現代でも、人の食の好みは共通なのでしょう。権力の座で好きなものが食べれる状態になると、食は乱れます。貴族である藤原氏の食事は、主食は米、副食は魚鳥、野菜、海藻類、果物などのほか、飴や甘葛の煮汁、はちみつなども用いた甘酒を飲んでいたようです。2~3日に一度は宴会が催され、濁酒とともに10数種類の皿が用意されたとあります。

 当時の貴族の豪華な衣類は動きにくく、非活動的な生活が普通でした。道長が好きだったのは、大陸から伝わった「蘇」という食べものだったそうです。牛乳をひたすら煮詰めて、冷やした、ミルクキャラメルのような物で、乳脂肪と乳糖が濃縮して、非常に高カロリーな食べ物です。道長はこれに蜂蜜をかけたものを好んで食べていたとの事です。

 現代でも、運動はせずに、毎日のように飲みながら、贅沢な外食をし、その合間に濃厚なチーズケーキを好んで食べているような人は、糖尿病を始めとするメタボリックシンドロームになるのは当然だと思います。現代ではこれが、権力の頂点に居なくても出来てしまうことが、恐ろしい事ですよね! そしてたまにですが、蒼野はこういう方に健診で会うことが有るのです。

 1000年以上前にそんな生活が出来たというのは、少し驚きですが、ヒトは全てを叶えられる立場になれば、本能に従って、運動を避け、甘いもの、アルコール、脂肪分を摂取してしまうという事なのでしょう! 当時に健康情報が充実していれば、少しは違ったのかも知れませんね。

 一方、権力の頂点についたということでは同様の徳川家康ですが、家康は健康オタクで、生活には細心の注意を払っていたとされています。時代が移り江戸時代になると、健康になる食べ物の知識が集積され、食養生の思想が広がってきていました。

 戦国時代は健康でなければ、戦に勝てません。一族の存亡にかかわる自分の健康を守るために、武将はこぞって体に良い食事を追求し、長寿の武将が数多く知られる時代になったのです。家康の普段の食事は、麦ご飯や玄米にみそ汁+おかずが1品か2品で、イワシの丸干しや煮付をよく食べていました。天下を取った後も変えなかったそうです。

 これは素晴らしい食事ですよね! 主食から食物繊維がたっぷり摂れて、ぬか等に含まれるビタミンミネラルも摂れます。オメガ3とミネラルたっぷりの小魚で動脈硬化や認知症の予防ができます。家康の故郷である三河の味噌は、豆味噌である八丁味噌ですので、大豆蛋白がたっぷり摂れて、ビタミン、ミネラル(特にカルシウム)が豊富です。

 家康は、蒼野と同じく、健康への興味が強かったようで、当時最先端の医学書や薬学書を読み、高名な医師を招いて議論していたとの事です。新鮮な旬の食材を使い、あまり手を加えずに食べるよう助言された家康は、頑なにその教えを守りました。亡くなる1年前までは鷹狩りに明け暮れ、73歳まで長生きしたとの事です。

 ちょうど貝原益軒が養生訓が書いたのも江戸時代です。この時代は現代と同様、健康ブームが起きていて、幕末までに100種類以上の健康書が書かれたとの事です。一度養生訓についてはブログで書きましたが、生活習慣については現代でも通用する教えが多く、特に日本人の健康に視点を置いているという点で、知っておく価値があると思います。

 『腹八分目』というのは有名ですが、細かい教えとしては、食べたものの消化には時間がかかるので、特に夕食は控えめが良いこと、味が濃いものや脂っこいものは体の負担になること、季節外れの食材、十分熟していない食材、火が通り過ぎたもの、生煮えのものは食べない方が良いと教えています。

 また身体に良いとされるものでも、食べ過ぎは良くないとしました。先日の『貪欲な臓器』のお話でもあった「食べ過ぎが腸の炎症を起こし、内臓脂肪に波及して、全身の酸化、糖化、老化を引き起こす」という部分を、江戸時代に看破しているということは、敬服するしかありませんよね!

 どんなおかずでも、ご飯よりも多く食べてはいけない、日本人は大陸の人と比べて、胃腸が弱いので、肉は1食に1切れで十分、と書いてもいます。そして食べ過ぎたと思ったら次の食事を抜くか、ごく少量に抑えるといい、という実践的なアドバイスをしているのです。

 確かに日本人はそれまで食べてきたものから腸が長く、外国人のように、肉や油っぽいものはを食べると、調子が悪くなる人が多いということも知っていたのだと思います。日本人はインスリンの分泌能も低く、同じだけ食べても糖尿病にもなりやすいです。高カロリーの食事で、内臓脂肪も付きやすく、万病につながるという事を、経験的に見抜いていたのでしょうね!

 カロリー制限は、オートファジーを活性化し、健康長寿につながることは証明されています。養生につとめた益軒は、84歳まで長生きしています。日本人のDNAは江戸時代からでは、本当に変わっていないはずです。誘惑の多い現代の食生活ですが、ゆっくり味わって食べて、大食い、早食いから避けてゆきましょう!

参考書籍:   日本人の病気と食の歴史    奥田 昌子

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